広島市民球場跡地利用市民研究会ホームページ

コンセプト

<壁からのメッセージ>

「3枚の平和への伝言板」

−過去の現実と追悼、これらを決して忘れずに、未来へ、それは、それぞれの物語から−

---------------------------------------------------------------------------------------

市民球場跡地とその周辺は、被爆という過去の現実を踏まえ、より「未来へ」と目をむけられた、復興や再生、発信のイメージを持つところで、市民が訪れて感じた気持ちや平和への想いを表現し、世界へ、そして未来の人たちに向けてメッセージを発信し続ける場所として存在する。

そこは、現在の平和公園と異なる機能をもった、市民のための平和公園(市民平和公園)。その緑豊かな森の中に、メッセージ・伝言板をキーワードとして3枚の壁「3枚の平和への伝言板」がたっている。

そこは、

・岡本太郎からのメッセージ(明日の神話:第3の壁)、

・被爆者の方々からのメッセージ(哲学の壁:第2の壁)、そして

・市民がつくっていくメッセージ(平和の壁:第1の壁)と出会うことのできる森。

そこは、被爆遺跡や復興遺跡それぞれの物語から、被爆者それぞれの物語から、そして今を生きる人を含めた様々な生き物たちのそれぞれの物語から。今一度捉えなおし、己を問い、様々に発していくところ。 「伝えること」「交流すること」「表現すること」「対話すること」、これらを主なテーマとして。

■コンセプト要素A[表現へ]

核実験も核拡散も止まらない現在。ヒロシマの情報を受ける(インプット)ばかりでなく、表出(アウトプット)するところも必要と思われる。世界の平和の実現に対して、なにか自分にできることはないだろうかという気持ちを抱いている人は、少なくないのではないだろうか。そのような人たちが、オープンな場所で、より強く世界の平和を願い、訴え、発信し、豊かに発展させて、「表現」へと至るほどに展開することのできる場所が必要と思われる。言葉や絵、音楽、そして集うこと、対話すること、さまざまな行為、活動。それらができるところが。

■コンセプト要素B[言葉の空間]

原爆資料館や慰霊碑、平和の灯、そして原爆ドーム、それらを結ぶ通称平和の軸の延長線上に位置するにふさわしいものとは一体何であろうか。それは、もはや建物ではないと思われる。「平和の壁」に書かれたその時その瞬間の気持ちや想い、願いやメッセージ。それらが定期的に写真に記録(デジタルカメラにて)されていくことで、その壁面が面としてレイヤー(層)状に積み重なっていき、時とともに変化しながら、空間を形成していく。そういった、人々の想いや願いのつまった「言葉の空間」こそが、そこにふさわしいのではないだろうか。

 

■コンセプト要素C[その場にて]

これまでのように、千羽鶴をあらかじめ皆で折ってきて飾るというだけでなく、広島へ来て、被爆体験を聞いたり、資料館や原爆ドームなどを見てから、それぞれが感じ、考えて、そこで折る。たった一つでも、小さくても、下手でもいいから、そこで、折り鶴広場で折る。そして、その折った鶴をどこへ飾るかは、また、人それぞれ。広島へ来て被爆地に立ち、そこで感じ、考えて、行動や表現を行う。

■コンセプト要素D[市民創造]

著名アーティストの1つの作品よりも、何らかの基準によって選ばれた作品よりも、強い意思と想いのある継続するたくさんの市民の作ったものが、それを超えることもありうるのではないだろうか。そんな市民創造の場となって欲しい。それぞれの生活や活動の延長で、平和への表現が行える場所として。広島での、平和への「市民創造」。

■コンセプト要素E[より広く、平和マップを手に]

平和公園の既存施設(原爆ドーム他)、袋町小学校や本川小学校などの被爆建物、ヒロシマ復興関係のもの、岡本太郎の壁画、被爆電車や被爆樹木や各慰霊碑等を、人々がそれらの載っている「平和マップ(地図)」を見ながら見て回る。また、「広島平和巡礼証明書」の発行も行う。これからは、「街全体を原爆資料館化(資料としての意味において)するという考え方」をもつ。それによって、人々が出会いと考えるきっかけを多くもつことができる。建造物を作って(ハードで)ではなく、きっかけ作りで(ソフトで)回遊性を生む。

          

被爆したのは爆心地を中心として広範囲にわたっている。広い視野で被爆地全体を空間としてとらえ、落とされた側の視点に立って、被爆したそれぞれの場所でのそれぞれの人の物語に目を向ける。そして、それらの出来事の集まりで全体像をとらえ直し、そこから平和を発信していくという方向性を加える。

■コンセプト要素F[生身の衝突]

平和公園のベンチにボーッと座っていて思うことがある。平和を意識してわざわざこの地に来た個人や団体が、ばらばらに来てばらばらに去っていく。ほぼ同じ目的をもった彼らが、交流し、対話して、衝突する機会があれば、もっと何かが生まれるのではないだろうか。1+1が3となり、その3に5や2を加えて100になるようなことがありえるのではないだろうかと。異なった考え方を知ることが、始まりの一歩である。それは、インターネット上のやりとりのようなものではなく、生身の人と人との衝突で、火花を飛ばすくらいのものであってよい。 広島において、国や宗教などの背景、人種、世代の異なった人たちとの対話は、きっとお互い心に残るはずである。そのための場と、謙虚なきっかけが、これからの広島に必要と思われる。

■コンセプト要素G[ともに生きる、いきものたちの園]

1本でも多くの木を植える。木々があれば、良い水が川に流れ海も潤い、鳥や虫、人を含めて様々な生き物も集まってくる。1本でも多くの木を植える。このことが、すべての基盤となる。「木々のはざ間で人々が集う」そういった場所が望ましい。 「人と人」だけでなく、「人と人以外の生き物たち」との平和も配慮し、共生を推し進める場所としてある。公園エリアでは、鳥や虫、植物や地球(生命体として捉えて)が健全に、そして元気になる要素、きっかけを配置して、大きな緑地帯として機能させる。 これらは、計画段階から、市民や緑化の関係の活動をされてきたクループの人たちと共に、市の動・植物園の協力を得ながら計画を進める。ただし、平和大通りの雰囲気を、緑化の方向性のベースとする。緑化のコンセプトは、「復興と国際交流」。

■コンセプト要素H[復興遺跡]

市民球場の一部を残したもの、被爆電車、被爆樹木、ポップラ通りのニセアカシアとポップラなどを、ヒロシマ復興の証として、被爆遺跡と同等に、我々は大切にしてかなければならない。まずは、「復興遺跡」としての視点をもつことから始める必要がある。

■コンセプト要素I[ヒロシマの折鶴]

佐々木禎子は病室で、一日でも長く生きたいと願い、懸命に折り続けた。千羽を超えてもなお折り続けた。もはや、数の問題では無くなっていた。彼女は、折り鶴の数や折ったものよりも、折りつづけることに集中し、それに命をかけていた。彼女のように、すぐに結果が出なくてもあきらめることなく、「ヒロシマの折鶴」で大切なことは、「折ったものや折鶴の形」よりもむしろ、「折ること、折りつづけること」を通して、祈り、信念を持って、一人一人が、命の大切さを考え平和への願いを込めていくこと、にあるのではないだろうか。

それは、これからも平和を訴えつづけなければならない広島にもあてはまる。「折りつづけること」=「命の大切さを考え、生きる希望をもち続け、平和を訴え続けること」であり、そのための、市民のための場(TARO広場、市民平和公園)が必要とされている。またそれは、8月6日だけのイベントに終わらない、使命を持った継続である。

■コンセプト要素J[被爆前後]

前述の、被爆後の復興と再生だけでなく、被爆前、広島が軍都であったことも、被爆という事実に至る要因の一つとして、目を開いて見ていく必要がある。跡地は、西練兵場としての役割を担わされた場所であった(被爆後は遺体置き場と化していた)。 そういった時間の幅(被爆前後)と流れで、この地の歴史を見渡せる場所として、跡地は機能すべきだと思われる。設置予定の西練兵場慰霊碑と説明碑や絵碑によって。

Copyright © 広島市民球場跡地利用市民研究会 KOIKE All Rights Reserved.
inserted by FC2 system