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現在の広島市民球場を残す

広島市民球場が、3種類の形で残されている。そしてそれらは、「被爆遺跡」に対して、ヒロシマの「復興遺跡」として存在する(それは被爆電車の展示とともに)。

1.「三角スタジアム」として----------------------------------------------

広島市民球場の、広島市民の汗がたくさん落ちているライトスタンドが、広島復興のシンボルとして残されている。“球場の一部を残す”といった場合、建物だけではなく、それにつながっているグランドにも意味があり、一緒に残されている(市の管理範囲)。

■ライトスタンド裏にはブルペンがあり、津田プレートもある。それらを見ることができるようにし、体験も出来るように改装する。

■1階のブルペン横のロッカールームを改装して、以下のような展示をおこなう。

一つは、カープ関係の資料で、カープとカープファンの歩みの紹介パネル、有名選手の使った道具やサイン、手形などの展示。

  

もう一つは、市民球場の建設史を中心とした広島復興の歴史の紹介。

■1階の入口通路も改装されて、展示スペースとなっている。

■ライトスタンド全体としては、構造上のチェックを受け、その結果を踏まえて補強工事を行う。手すり、支柱の追加や、ワイヤーブレース式の構造補強が考えられる。

■ライトスタンドにある企業看板を残して、スポンサーとして公園運営費に出資してもらう。また、入場料を取るかどうかは要検討。

<使用例>

A)球場の観客席が円形劇場の客席のようになるように舞台を設けて、コンサートや演劇を行うことができる。

B)夜、プロジェクターとスクリーンを置いて、過去の試合の映像を映し、昔を懐かしみながら、ライドスタンドにて応援をするというイベントが、新球場ができた後でも可能。山本浩二の引退試合など。3ヶ月に1度程度、往年の名場面上映会が催されてほしい。また、年一回の全国のカープファンの集うイベントが、そこであっても面白い。

C)カープの優勝決定戦やオールスター戦などで、新球場での試合と同時中継を行うこともできる(プロジェクター+スクリーン)。入場料:大人400円、子供100円程度。

「同時中継」によって、都心の主要2ヶ所が連動するという意識が生まれることで、都心全体の活性化につながる。

D)柔らかいボールを使い、子供たちが三角ベースをすることができる。入れば、本当のホームランを味わうことができる。

<その他>

被爆後の広島復興時に、市民球場の駆体のコンクリートは、被爆した人たちが熱い熱いと苦しみながら多く沈んでいった近くの川の砂を使って造られたらしい。

そういう意味においても、球場の一部を残すことに重要な意味がある。

残す部分以外の、球場本体を解体した際に出るのコンクリートの産廃を、一部どこかで保存しておいて、「広島復興の川砂」という名でビンなどに入れて売り、売上の一部を公園の運営管理費にまわす。

2.「“わ”の回廊」として----------------------------------------------

都市が大きく飛躍する場合に、人々の心をひきつけてまとめ、こころのよりどころとなる希望の象徴が必要である。通天閣、東京タワー、エッフェル塔、ピラミッドなど。広島は、なぜか上へは伸ばさなかった。広島の場合は市民球場であり、それは、被爆後の混乱のなか、人々に前向きに生きる勇気と希望を与え続けてくれた。

また、試合が行われている市民球場を上から見下ろすと、人々の輪(環)となっており、下では、彼らが和となって力を合わせて応援している。

その広島市民球場は、被爆という苦難を乗り越える際に、人々が前向きに「和」をもって力を合わせ、県外、海外からの支援を含めた人々の「輪」をもって、ヒロシマの復興を支えてきた。それは、まさに復興のシンボルといえる。

これまでの広島には、川や海面のように、水平に伸びていくようなイメージがある(最近は高層マンションで崩れてきているが)。水平のなかで、真直ぐ軸性をもったり、円環したり、ジグザグだったりする空間。世界遺産の宮島、市民球場や平和公園など。

そういった広島の水平性と前述の円環性より、電車通り側の外回廊が象徴的に柱とともに残されている(市の管理範囲)。

3.「球場の顔」として----------------------------------------------

電車通りに面した球場の南東側にメインエントランスがある。球場自体は50年経っており、今後50年使用することを考えると100年となってしまう。建造当時よりも、現在の建築基準法の耐震基準は厳しくなっており、都心の悪環境の中での劣化(コンクリートの中性化など)も考慮すると、現球場の駆体を主構造に施設として使用することは考えられないためには、専門家に調査してもらう必要がある。

そこで、商工会議所の土地を等価交換し、その位置の球場南東側に移転し、主構造を今の基準でつくり、外壁は残す。想いのつまった球場の顔としてファサードが残されている。

その施設の一階では、広島の産業を紹介するところと広島の物産を販売するところがあり、もともとの産業奨励館のソフト(現在バージョン)が再現されている。

4.その他----------------------------------------------

ピッチャーマウンドとホームベースを残す。ただ、民間事業者の施設との配置上の関係もあり、調整を要す。

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